あの時両親は、何を想い、何を考えていたのだろうか?
今まで考えたこともなかったが、何故か急に両親の気持ちについて考えるようになった。
これもブログを始めたお蔭かもしれない。
私は、田舎で育った。両親も田舎で育って、そのまま結婚して、子供を育てた。
育てられたのが、私で、一家の長男だった。田舎では長男はとても重要で、私は親の期待通りかどうかは分からないが、それなりに良い成績で高校まで進んだ。
実は、高校進学の際に、東京へ行きたいと話したことがある。当時私立であれば県外からも進学できると誰かから聞いたからだ。両親は、全く相手にしてくれなかった。多分、冗談だと思ったのだろう。
そして地元の高校へ進んだが、高校1年修了時に、今度はアメリカへ留学したいと両親に伝えた。
東京から、1年経って、日本ではなく世界へ行きたくなったのだ。そこで思いついたのがアメリカだった。
私は、アメリカどころか東京(修学旅行で行ったくらい)へも行ったことが無かったので、流石に親に止められた。
私の高校を卒業しておけば、地元で就職できるから取りあえず卒業はしておけ、というアドバイスだった、
私の家族も親戚も、海外どころか東京へも行ったことが無いのだ。私の存在は、かなり突飛に映っていたかも知れない。しかも長男だ。何とか阻止したかったのかもしれない。
私は地元に居ても将来性がないと考えていたし、地元が好きではなかった。
高校を卒業して進学するタイミングで、私は遂にアメリカ行きを伝え、両親は文句も言わず承諾してくれた。
他のクラスメイトは地元の国立大学か、または大阪、名古屋、東京などの都会へ進学していく。私には、アメリカしかなかった。そこに何か大きなものがあると信じていた。
アメリカ行きについては、まず担任の先生もよく分からないし、当然親も親戚も何も分からない。運良く、学校に国内の大学の推薦入学と一緒にアメリカの大学の推薦も来ていた。私は、それを利用しようと考えた。
そして、最終的に荷造りして、人生初の飛行機に乗って、何も分からないアメリカへ渡ることになるのだが、両親は一体どういう気持ちだったのだろうか?
当時の私は興奮で毎日楽しく仕方なかったが、両親の気持ちについては考えたこともなかった。
海外の大学なので、予想していた以上に費用が掛かっていたかもしれない。そういったお金の心配と子供の健康の心配や将来の不安など、様々な思いが交錯していた気がする。
もし、私が両親の立場であればどうしただろうか?
得体の知れない国へ子供を一人で送り出すのは勇気がいることだ。余りにも未知の世界過ぎて、親として何のアドバイスも出来ない。途中で金が無くなって仕送りが出来なくなっても、日本と違い奨学金のようなセカンドチョイスも存在しない。
私だったら、自分の理解できる範囲に子供を置いておきたかったと思う。特に長男だったので、田舎的な対外的面子もある。
アメリカへ行ったくらいで子供の将来がバラ色になるわけがないし、大人の世界を少しでも知っていれば、アメリカへ行った方がより苦労することも分かっていたと思う。
両親も、既に結構な年齢だ。当時の両親の気持ちを、今聞いても、本心を語るかどうか分からない。
死ぬ間際までには、当時のことを両親に聞いてみたい。
あの時の両親の決断が、間違いなく私の人生のターニングポイントだった。それがなければ今の私の生活もなかったかもしれない。
私の人生を決定付けた瞬間の両親の想いは、私の胸に一生刻み込まれるだろう。いつまでも懐かしく幸せな記憶として。
どんなに感謝しても感謝しきれない。。。
やしきたかじん氏の死後騒動に思ふ
やしきたかじん氏が亡くなられた。その最期までを本にしたのが「殉愛」だ。
私は読んでいないが、かなり話題になっているらしい。
アマゾンのレビューの荒れ方やニュースで報じられた身内の揉め事は、たかじん氏が望んでいたものと真逆の結果になっているのではないだろうか。
たかじん氏は、自身の遺産を大阪などへ寄付する予定だったらしい。それすらも遺族側の事情で棚上げになっているそうだ。
そんなたかじん氏の遺産は5億円だそうだ。。。
確かに5億円となると揉めるわな。。。と思いつつも、私も他人ごとではない気持ちになっている。
多分、私が死ぬ時も同じくらいかそれ以上の資産になる気がする。
そして、私も離婚して独りだ。生憎子供はいないが、死ぬまでに何が起こるか分からない。
たかじん氏はどんな状況だったのだろうか?
末期癌を宣告された時点で、何も考えられなくなると思う。お金のことなんてどうでもよくなる。お金は生きてる間は役に立つが、死ぬ間際には何の役にも立たない。
それよりも一秒でも長生きしたいと思うし、その時に一緒に居てくれる人がいれば何よりも心強い。
そんな時に、付き合って直ぐに結婚することになった妻に様々な提案をされても、寝耳に水で承諾するだろう。
子供とは生前から色んな事を約束しているので、それも守られると信じてしまうだろう。と言うよりも、自分が死んだ後のことを考えている余裕がない気がする。
そんな状況に端を発した問題なんだと思う。
正直、たかじん氏からすると、最後の妻が海外で結婚していたとか、他に旦那がいたとか、そんなことは当時直面していた問題(癌)に比べたらとても小さなことだ。
妻は、遺言をビデオに撮っていたり、直筆のメモを残していたりと、遺産についてはかなり有利な状況にいるようだが、妻と子供が故人のことを考えて、丁度良い按配で和解してくれることを願うばかりだ。
公共の電波を通して身内の醜い争いが繰り広げられると、私も死ぬに死ねなくなってしまう上に、誰も信用できなくなってしまうので。。。お願いします!
近年観た中で、色んな意味でNo1の映画を紹介します!
それは、ONCE(ONCE ダブリンの街角で - Wikipedia)です。
当初は、アメリカで単館上映から始まった映画が、口コミで全米大ヒットとなりました。グラミー賞ノミネートとアカデミーを取りました。
まず、何が素晴らしいかというと、低予算!なことです。
私が映画の投資家なら、絶対にこの映画に投資したいです。なかなか自分で投資したいと思う映画はないですが、これはその中の1本です。
次に、ストーリーが最高!シンプルで、且つ人生そのものを描いています。
その背景に流れる音楽もいいです。
そもそも主人公の男女は、ミュージシャンです。この映画のヒットで歌も売れたようです。映画を観終わった後も走馬灯のように音楽がずっと脳裏を駆け巡ります。
私は、今まで数多くの映画を観てきましたが、DVDを買うことはなかったです。しかしながら、この映画は買いました。音楽が良かったのもあったかもしれません。
あらすじ
ダブリンの街に住む、ストリートミュージシャンが主人公です。主人公はストリートで弾き語りしながら実家の掃除機の修理を手伝ってます。
厳しい生活の中でも、音楽を諦められないのでしょうか。。。
ある日、たまたま音楽を聴いていた女性と出会います。彼女は東ヨーロッパからの移民で、更に貧しい環境にいます。
そんな彼女にモチベートされて、オリジナル曲のレコーディングをする話です。
この手の映画にありがちな、主人公が女性を好きになるパターンなのですが、最後は結ばれません。
そこに人生を感じます。
何か昔に戻ったような気持ちにしてくれます。
NYには、沢山の売れないアーティストがいて、成功しないまま死んでいきます。そんな彼らがNYに来るまでに時間を描いているかのようです。
アートは麻薬です。麻薬に溺れながらも何かを信じて生きていく姿は美しいのです。これを希望と呼ぶのでしょう。
そんなことを教えてくれる映画です。
ニュースはこれだけで大丈夫! 役に立つラジオ番組を紹介します!
前回に引き続きラジオについてです。ラジオと言っても、今はネットで聞けます。
映画評論家 町山智浩氏の人生が実に楽しそうに思える! - 自由を求めて、世界を周る
昨日、Iphoneをios8.1.1にアップデートしたらPodcastが表示されたのです、今日からスマホでずっとラジオを聞いてます。
ネットのニュースは表層だけだし、新聞やテレビは規制が多く、論客が本年を話せるのはラジオが一番なんだと思います。
しかも、ラジオは他のことをしながらでも聞けるので非常に便利です。
そこで、私のPodcastに入っている番組を紹介します。
- ザ・ボイス そこまで言うか!
- ズーム そこまで言うか!
- おはよう寺ちゃん 活動中
全てニュースです。単なるニュースではなく、その背景をコメンテイターが好き放題コメントします。人によって右寄り左寄りありますが、テレビや新聞より役に立ちます。
空いた時間に聞くだけで何かが変わると思います。
因みに、今日も面白い番組を見つけて登録しました。
- 世界一周!チラ見の世界史
歴史を聞いたことない角度から解説します。
面白いです。
私も、ラジオ番組を自分でやってみたいです!
時代はラジオですね~
映画評論家 町山智浩氏の人生が実に楽しそうに思える!
私は一日中ラジオばかり聞いている。情報もラジオ番組から得ることが多い。
ネットで流れているニュースはトピックとその説明で終わっていることが大半なので、もっと突っ込んだ情報を得るにはラジオが最高だ。
その理由は、テレビや大手メディアと違い規制が少ない分、論客が自由に発言できるからだ。
ラジオと言っても、私はラジオを持っていないので、基本的にyoutubeで聞いている。ネットの時代にラジオは親和性が高いと思う。
そんな折に、面白い番組を見つけた。
町山智浩が『チャーリー・シーンの近況』を語る - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=qWRZsGVoREA&list=UUir8hVc-V0z8R7vrD5zIVPw
町山智浩が「コラムの花道」で『トム・クルーズとサイエントロジー』を語る - YouTube
これ以外に映画紹介の放送がある。本来は映画評論家なので、どちらかというと映画評論がメインだ。
私も、若い時は映画関係の仕事がしたくてかなりの数の映画を観たが、彼の知識には到底及ばない。
町山氏は、元々出版社に勤めていたが、日本の映画評論の在り方(コマーシャライズされた論評)に嫌気さし、映画秘宝というマニアックな雑誌を立ち上げた。
その後キネマ旬報とのトラブルで日本で仕事が出来なくなり、家族で渡米することになる。
渡米時は英語が全く話せなかったそうだ。
現在は、バークレーに住みながら、新作映画のインタビューや日本への紹介、執筆活動、ラジオ出演などで食べている。
自分の大好きな映画の話を実に楽しそうに話しているのを聞いて、こんな人生もいいな~、と感じてしまった。
私も日本で失敗した時は、アメリカに渡ってゼロから自分の好きなことを追及してみたい。そんな第二の人生も悪くない。
今回の解散で、日本の官僚支配は終わるのか?
衆議院が解散するようだ。
大義は消費税の増税延期、今回の増税分が回ってくる予定の既得権者以外は賛成だろう。
そもそも増税法案には景気条項があったはずだが、その景気条項を発動するために新たな法律を通す必要があるらしい。しかも3党合意で法律にまで持ち込んだぐらいなので、財務省も二重三重の網を張って意気揚々としていたのではないだろうか?
戦後の官僚支配において、財務省に反旗をひるがえす瞬間を目にするとは思わなかった。
これを機に、戦後の官僚支配は終わるのだろうか?
それはきっと国民の一票にかかっているのかもしれない。
用意周到な財務省
財務省が策定する予算は、税率とリンクしているそうだ。
例えば、増税して景気が悪くなって税収が減った場合、通常は全く意味がないどころか本末転倒だと思うだろう。しかし、財務省にとっては税率のアップこそが重要らしく、その先には天下りをはじめ巨大な利権が横たわっている。
その為に、長い時間と労力をかけて、政治家に説明にまわる。
次に、御用学者を使って、増税賛成派を固めていく。世論誘導も行う。
そして、外圧を利用する(例えば、IMFや世界銀行などのレポートを使う)
そもそも外圧に弱い日本人の体質と海外への責任転嫁が出来て一石二鳥なわけだが、海外機関のレポートを書いているのは外務省からの出向者だ。だらか自作自演なのである。
今回、財務省の計算ミスは、外交で公約済みだとしていたはずが、アメリカが明確に増税反対をしたことと、クルーグマンが理路整然と反対したことだろう。
最終的に、このノーベル経済学賞の学者(クルーグマン)を正面玄関から官邸に呼び入れ、安倍首相が説明をうけた。
さらに、安倍首相は財務省などの省庁が集まるパーティーで高橋洋一氏と話し込んでいたそうだ。まるで増税反対を宣言しているような行動である。
安倍首相は財務省と完全に喧嘩別れするのか?
さて、今回の解散だが、あくまで増税について国民の声を聞くことが前提だ。
次に1年半延期した後に、次の延期はないとしている。
この辺りで財務省も納得したのかもしれない。
大前提として、アベノミクスが増税により打ち消されるくらい景気指数が悪く、このままでは間違いなく税収が減るわけで、ここで増税はあり得ないと思うのだが、それでも増税に待ったなしが財務省に意見だ。
そんな省庁と完全に手を切れないようだ。まさかの増税延期で役人もかなり面食らったとはお思うが、それでもまだ官僚支配の手の中にいるのではないだろうか。
これからどうなる?
今の状況が続く限り、官僚支配は終わらないと思う。
アメリカでは政権が変われば、官僚もまるまる変わる。そうするとそこに既得権が発生しなくなる。
日本の場合は、官僚が公務員のため、永遠にそのポジションにいる。
また、中国のようなエリート志向の序列が未だに残っているため、浮世離れした組織になっている。
日本が財産を使い果たし、IMFなどが介入して既得権を壊すくらいにならないと官僚は何も変わらないと思う。
国民と官僚のメリットが一致していないのがそもそもの問題なのではないだろうか。
Facebookよりブログの方が面白い
ブログを始めて2週間くらいだが、Facebookよりブログを書いたり読んでる時間が圧倒的に長くなっている。
実名で、実際の生活のように当たり障りのない書き込みや会話をするよりも、匿名で好きなことを書いてる方が楽しい。
私の周辺の人間は、私がブログを書いていることを知らないので、ここで何を書いても、よく分からない人間の能書き程度で終わるので楽だ。
そして、匿名を通して、ブログの文体だけでコミュニケーションを取るのも悪くはない。そう言えば、昔Twitterをやっていたが、数か月で飽きてしまい、今はアカウント自体を削除してしまった。その時は知人とも繋がっていたので、やはり余所行きのツイートになっていたのかもしれない。
ここではどうなるだろうか?
今は楽しくて書きたいことを書いているが、そのうち書くことが無くなって、または書くことにつかれて結局はFacebookに戻るのだろうか。
旅行の写真を投稿して、誰かの今日の夕食の写真を見る、実に退屈だが平和な世界だと思う。