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一番愛した女性は、思い出のままに

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彼女にとって、全ての男性、または全ての恋愛は“2番”だった。彼女にとっての“1番”は映画であり、その為に大切なものを簡単に手放してきた。それが彼女にとって幸せだったのかどうかは分からない。

 

私が、彼女と最後に会話したのは2年ほど前だ。会話と言っても、顔を見て話したわけではない。声も聞いていない。それはテキストによる会話だった。

とても短いやり取りだったが、彼女がサンフランシスコで少ないお金を遣り繰りして、何とか生きていることは容易に想像が出来た。そんな状況にありながらも、まだ映画を作ろうとしていた。

 

人生は時に諦めることも必要だ。私は彼女に10年以上前からそう言い続けてきた。でも私の言葉は届かなかった。それは私に問題があったのか、彼女の問題なのか、今になっても分からない。

 出会い

私が彼女と会ったのは、私が離婚して、何の希望もなく、ただ食う為だけに生きていた時期だ。彼女は映画関係の仕事で日本に来ており、私達は共通の知人を介して知り合った。

彼女に仕事を聞かれた私は、無職だと答えた。

彼女は映画関係の仕事をしていたが、それは育ての親がアメリカで有名な映画関係者だったからだ。彼女は、ロシアで生まれて途中からアメリカで育った。育ての親のコネクションで映画に係りながら色んな国を飛び回っていた。

私とは雲泥の差だ。まるで接点が見当たらない私を、彼女は一緒にBARへ行こうと誘ってきた。大きなグリーンの瞳が夕日に照らされて輝いていた。

「あなたは他の人と違う気がするから」彼女はそんなことを言っていた。

 

私達はそれから毎日のように会って、二人の時間を過ごした。

彼女が日本に滞在していたのは、たった一ヶ月だったが、私にはそれで十分だった。生きていく理由が見つかった気がした。

 運命の再会

本当に運命だったのだろうか?ただの確率だったのかもしれない。

彼女が帰国してから、私達は全く連絡を取っていなかった。それは取っていなかったのではなく、取れなかったのだ。私は彼女の連絡先を、訳あって無くしてしまっていた。そして、タイミングの悪いことに私が携帯電話を変えてしまい、彼女からも共通の知人からも連絡が取れない状態になっていた。

その日以来、私は理由もなく、時間があれば六本木を歩いた。二人で一緒に歩いた場所を彷徨うように歩いていた。もしかしたら彼女に会えるかもしれないと考えていたのだと思う。

そんなある日、私の後ろから聞き覚えのある声が聞こえた。

彼女だった!

それを機に、私達は引き寄せられるようにして、一緒に住むようになった。

私は彼女と居ることが何よりも快適だった。それはきっと自分が一番でなくて良いからだったのかもしれない。彼女は、才能の有無は兎も角、アーティストで、映画を作ることが人生の全てだった。私はその隙間を埋める存在で、そのことが二人を心地よい関係にしてくれていた。

 

彼女と私は、数ヶ月ずっと一緒に居て、数ヶ月音沙汰なしで、また気がついたら一緒にいる。このような関係を5年近く続けた。

結末

私は、なぜ彼女と結婚しなかったのだろうか?未だにその理由が分からない。何かを引きずっていたのかもしれないし、単に勇気がなかっただけかもしれない。それともタイミングの問題だったのだろうか?彼女は私と最後に日本で別れて、アメリカに滞在している際に結婚をした。長身の年下のモデルだった。

私は、その報告をうけて、驚きはしたが落胆はしなかった。それよりも結婚生活は上手くいかないと思った。そして、そのことを彼女に伝えた。

 

彼女の結婚生活は1年続かなかった。理由は、彼女の映画への愛情だった。

 

そして、今日までずっとその愛情を捨て切れずにいる。育ての親からのサポートも年々減っていき、自分で本を出したり、撮影した写真を売ったり、自分のブランドの商品を販売したりしながら、僅かなお金を遣り繰りして生活している。

そんな生活が良いとか悪いではなく、昔の彼女の面影は感じなかった。あの本能のまま生きて、無限の可能性を両手に秘めて、内面も外見も誰よりも魅力的だった、私の知っているあの女性ではなかった。

 

20代の時に男性に人気のあった女性は、そのイメージを捨てきれずに30代を迎える。自分が老いていることに気付いた時は、周りにあるもの全てが当時とは変わっているのだ。

男性も似たようなものだが、自分を商品化して売るタイミングを間違えると、人生は思いもよらない結末を迎えることになる。世の中は残酷なのだ。

 

無責任な大人達は、毎日若者に向けて夢について説く。しかしながら、夢を諦めろと主張する人は少ない。そこには一見希望がないように見えるからだ。

目的地に辿り着ける人は、ほんの僅かだ。もし、道に迷ったなら別の道を探せばよい。道に迷ったまま人生を終えるのは、あまりにも虚しい。沢山の未来が道の先にあるにもかかわらず、多くの人は一つの目標に向かって全力で走っている。

今の時代は変化の時代だ。諸突猛進よりも、スイッチを握りしめて考えながら進路を微調整していくことが大切だ。そのことを知らないままに、時間だけが過ぎていく。

思い出のままに

私の一番愛した女性は、現実の世界ではなく、あの日からずっと私の思い出の中で生き続けているのかもしれない。現実は良くも悪くも変わっていくものだが、思い出はピークのまま静かに止まっている。それはどんな名作の名シーンよりも美しい姿をしている。

思い出は美しいまま、私の記憶の中でそっと寄り添って眠っている。

きっと、それでいいのだと思う。