あなたは伝説のコメディアン レニー・ブルースを知っているか!?
第二次世界大戦後の世界は、今のように言論の自由がなかった。それは民主主義を謳歌していたアメリカでも同様だ。
そこに、母親のいない貧しい家庭で育ったユダヤ人が、過激なマシンガントークで全米の注目を浴びるようになる。それがレニー・ブルースだ。
ダスティン・ホフマン主演の映画「レニー・ブルース」は彼の半生を綴っており、感動以上の何かを感じる作品である。かのビートたけし氏も、レニー・ブルースに憧れて模倣したと言われている。
レニー・ブルースの凄いところは、偽善が全くないことだ。当時タブーだった過激な放送禁止用語を使い、差別・宗教・政治など何もかもを剥き出しにして社会を強烈に風刺し、笑いのネタにした。そんな彼は警察に睨まれ、ライブの度に警察がステージを取り囲むことになる。
レニー・ブルースは何回も逮捕され、法的な弾圧を受けながらも自分のスタイルを崩さない。そんな彼から周りの知人、友人はどんどん離れていく。
彼は幼少期と同じく、また孤独になる。子供の頃の彼はラジオだけが友達の孤独な少年だった。
レニー・ブルースは、次第に麻薬に溺れ、下積み時代に結婚したストリッパーとも離婚してしまう。ステージ以外での、私生活のレニーは完全な敗北者で、憐れみすら感じてしまう。
そして、ついに彼は裁判で有罪判決を受けることになる。
もう裁判で戦う気力も体力も残されていないレニー・ブルースに対し、各界の著名人は公式の場で判決に対する異議を唱えることになる。
この時を境にして、世界の言論の自由の歴史が動き出す。
悲しいことに、レニー・ブルース本人は、その後すぐに、40代の若さで亡くなってしまう。
最後にステージで、彼は叫ぶ
i'm not a comedian. i'm lenny bruce!
「オレはコメディアンじゃない!オレは、(ただの)レニー・ブルースだ!」
彼はコメディアンの枠を超えた、言論の自由の使者だったのかもしれない。