過去の体験談を時系列に整理してみたら、親への感謝の気持ちでいっぱいになった。
先週、体験記をアップして以降、大変多くのアクセスを頂けるようになりました。
読んで頂いた皆様、有難うございました!
本日は、そんな体験記を時系列で整理してみたいと思います。
体験記を整理しようと、改めて過去のエントリーを読み返してみると、懐かしい気持ちと一緒に両親への感謝の念がこみ上げてきました。
私が金銭的に困った時に、決して裕福でない両親に度々援助してもらい、そのお蔭で今があります。そのことに改めて気付きました。
アメリカへ渡った時の記憶
今になって両親の気持ちを考えるようになりました。当時は自分のことしか考えてなかったので、ある意味ブログを始めた最大の功績がこれです。
あの時両親は、何を想い、何を考えていたのだろうか? - 自由を求めて、世界を周る
アメリカへ渡った当時の記憶
初めての海外に加え、初めての一人暮らしは刺激的で、ホームシックを全く感じてませんでした。それがチャーハンを食べた途端に急激に感情がこみ上がってきました。
未だに忘れられない、人生で最も感動した食事です。
アメリカの田舎町からカリフォルニアを目指す
アメリカの田舎町に留学していた私は、その生活に疑問を感じ、誰にも相談せずにカリフォルニアを目指します。
金がないので、グレイハウンド(最も安い交通手段)を使い、更には、周遊券で一ヵ月間かけて色んな街を訪れていきます。バスで寝る生活を続けて、疲れ切った時に見たカリフォルニアの海の姿は未だに忘れられないです。
周りの人みんなに心配をかけてしまいましたが、人生初めての冒険は私を少しだけ大人にしてくれました。
19才の時にグレイハウンドでアメリカを横断した話(何故バックパッカーを愛してやまないのか?) - 自由を求めて、世界を周る
世界の中心NYを目指す!
カリフォルニアで夢と現実の壁に打ちのめされた私は、迷わずNYを目指します。
NYの学校へ編入したまでは良かったのですが、生活費がなく、ハーレムの南のぼろアパートに住むことになります。そこでの体験と、そして学生寮へ引っ越した際に出会う私の人生を変えた親友の話です。
彼がNYを去った後に、私もアメリカを去ることになります。結局、私はアメリカで学生生活を全うできませんでした。しかしながら、それ以上のものを手に入れたと思っています。
ニューヨークで私は人生の全てを学んだ - 自由を求めて、世界を周る
実家の倒産と失意のスペイン
帰国後、私の実家が倒産し、家族が離散し、私は失意の中NYで出会った親友の地(スペイン)へ向かいます。その時に見た景色は一生忘れません。
私を絶望の淵から救ってくれました。
実家の倒産、家族の離散から再スタートまでの物語 - 自由を求めて、世界を周る
ロサンゼルスで再スタート、結婚、離婚、幸せは儚い
スペインから帰国後、私は就職します。何とか見つけた仕事はLAでの旅行代理店のクレーム処理でした。私はそこで奮闘し人生を軌道に乗せます。結婚もし、これで幸せに手が届いたと思った矢先に。。。幸せは常に儚いのです。
ロサンゼルスで航空券の販売をして、人生の儚さを知った話 - 自由を求めて、世界を周る
株式上場を目指し、ベンチャー企業設立!
離婚して全てを失ってからの私の人生です。
株式上場を目指して意気揚々と会社を立ち上げたのが、つい最近のような気がします。もう10年くらい前の話だと考えると、時の経つのは早いですね。。。
離婚と会社の解散で途方もない地獄を味わいました。これが今の人生に役立っている気がしています。
離婚して全てを失った私が資本金1億円の会社をつくるまでの軌跡 - 自由を求めて、世界を周る
会社の解散から現在に至るまで
現在の状況に至るまでの経緯です。まだ現在進行形なので懐かしい気持ちはないですが、つくづくラッキーだったと思います。
度重なる失敗を乗り越えて、自由を手に入れるまでの話 - 自由を求めて、世界を周る
そして、旧友を再訪問
昨年、人生の節目で、必ずコンタクトしている旧友に会いに行きました。何か夢がかなった気分でした。
それからは、今がずっと続けばよいのに。。。と本気で思って毎日を過ごしています。これからやり残したことを少しずつ実現していく予定です。
人生の分岐点で再びのスペイン(出会ったあの頃と同じ位置にいる) - 自由を求めて、世界を周る
最後に
改めて整理してみると、色んな事があったし、色んな人に助けてもらったし、自由奔放に生きてきて、何とかなっているのはやはり運が良かったのだと思います。
田舎の長男に生まれて、両親は多分、私に地元で公務員にでもなって欲しかったのだと思います。それを全く違う人生を選択し、親孝行もせずに生きてきました。
それなのに、何も言わずに、私が困った時は助けてくれた両親に感謝せずにはいられません。私が親になった時に、同じ対応が出来るかと言われると何とも返答のしようがないですが、どういう訳か両親は私を信用してくれていたのだと思います。
それは、自分の育て方を信用していたとも言えます。今頃になって両親の愛情を感じる機会が出来たことを大変有難く思います。
両親については、また次回書きたいと思います。