自由を求めて、世界を周る

自由に生きていくためのBlog -自由って案外大変-

19才の時にグレイハウンドでアメリカを横断した話(何故バックパッカーを愛してやまないのか?)

私は、高校を卒業して直ぐにアメリカのウイスコンシン州へ留学した。

目的は大学へ入る前の語学学校だ。

私は、田舎で育った上に、当時は今と違い海外の情報を得る手段がなかった為に、アメリカを一括りで考えていた。実際のアメリカは巨大で、ウイスコンシンは私の地元より田舎だった。。。

渡米して暫くすると、私は当初想像していた自分の人生と何かが違っている気がした。

 

そして、ある朝、突然、カリフォルニアへ行くことに決めた。

誰にも相談せずに、ハリウッドを目指すことで何かが見つかる気がした。

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photo by Thomas Hawk

私は、カリフォルニアの大学を調べて、学校の手続きをして、その後何を思ったかグレイハウンド・バスの周遊券を購入した。一ヶ月乗り放題のバスチケットだ。

広大なアメリカ大陸を隅々まで走っているグレイハウンドで色んな街を周りながら、最終的にカリフォルニアに着く計画だった。

 

出発当日、私は銀行にあるお金を全額おろして、グレイハウンドに飛び乗った。

当時のグレイハウンドは、最も安い移動手段で、そういった層の人達が利用していた。

私は、わずかな現金しかなかったために、夜バスで移動し、翌朝街について観光して、またバスで移動しながら寝る計画だった。

 

ウイスコンシンから、シカゴのユニオンステーションでアンタッチャブルを思い出し、テネシーのメンフィスでプレスリーの地を訪れ、ニューオリンズでジャズに浸り、ヒューストンでNASAを訪問し、ニューメキシコで真っ白な砂漠(ホワイトサンズ)を訪れ、グランドキャニオンからラスベガス、マウントラッシュモアで大統領の顔を観て、ヨセミテからサンフランシスコ、LAと南下していった。

 

ニューオリンズのフレンチクオーターは街中にJAZZが溢れ、アメリカ文化の魅力に取りつかれた。

ヒューストンでは、間違った市内バスに乗ってしまい、途中から明らかに客層が悪くなっていくのに気付いた。運転手は、一番前に座っていた私に「お前間違ってるだろ?」と何度も問いかけてきたが、私は「NO」と言い続けた。

もし間違っていることがばれたら、どうなるか不安だったからだ。

暫くすると、運転手は全ての客をその場で降ろし、次のバスに連絡し、私をそのバスで目的地(グレイハウンドの駅)まで送ってくれた。

日本では考えられない行動だ!これがアメリカの偉大さなんだと感じた。

未だに、あの時の運転手のことは忘れない。

 

ラスベガスの灯を見た時の感動や最初にカリフォルニアの海を見た時の感激も一生忘れないだろう。

バスも、一週間もすると、最初は怖かった他の客が気軽に話しかけてきた。風呂にも入らず、食事も一日ハンバーガー2個程度で、毎日バスで寝泊まりしていた私は、間違いなくホームレスで、バスの中でも最貧困層だったと思う。

 

グレイハウンドは、よくエンストした。高速の途中でエンストすると、次のバスが来るまで炎天下の中ジッと待つしかなかった。新しいバスが来た時の歓喜の瞬間は、まるでワールドカップで優勝したようだった。

グレイハウンドが走ってない地域では、私は当たり前のようにヒッチハイクしていた。

旅の途中で日本人と出会うと、必ず仲良くなり、次の目的地の情報を教えてもらったり、おごってもらったりもした。

公園のベンチで寝ていると、よく警察に怒られた。同じベンチに寝ているアメリカ人にお勧めの街を聞いて、行ってみると何もなかったりもした。

そんな旅が最高に楽しかった。

 

まだ携帯電話もない時代で、一ヶ月も誰にも連絡せずに旅行していたので、カリフォルニアの大学に着いた時はみんな心配していて、怒られた。

私は周りの心配など全く考えてなかったし、怒られたことすらも心地よかった。

 

初めて、私が自由を味わった一か月間だった。

そこで何を学んだのかは分からないし、どんな経験を積んだのかも分からない。

今でも私は色んな国へ旅行するが、19歳と同じようなことは出来ない。そのせいか、旅先で一人旅のバックパッカーを見かけると愛おしい気持ちにすらなる。

 

私が、自分が自由だと思える瞬間にいることが何よりも幸せだと知ったのは、最近になってからだ。きっと彼らも将来同じ想いにふけるのではないだろうか?