既得権が生み出すのは差別と憎しみだけ
前回のエントリーで、国家について考えてみた。
国家とは、要するに既得権であると結論付けた。
国家は何のために存在しているのか? - 自由を求めて、世界を周る
既得権とは、国民の権利もあるが、その多くは一部の既得権者の利権である。その既得権がある程度オープンになっているかどうかで国家の自由度のようなものが決まっている気がする。
よって、特定の国家では、全く既得権に手が届かない。
国家は既得権を守るために教育を利用する
国家は、ナショナリズムを国民に植え付ける。しかも教育を通して国家にとって都合のよい歴史観などを教え込んでいく。
ナショナリズムの論拠は分からないが、我々の多くはナショナリズムを胸に秘め、怒りの矛先を自国の既得権者ではなく隣国などに向ける。
既得権を守るために、その結果として生み出されるのは差別や憎しみだ。
国家が無くなれば全てが解決するのか?
こういった差別や憎しみはあらゆる階層で起こっている。国家はもしかするとその大本になっているのかもしれないが、もし国家が無くなってもそれに代わるものが必ず台頭する。
その組織は必ず教育という手段を持っており、我々が効率的に教育を提供しようとする限りは同じことが繰り返されるだろう。