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国家は何のために存在しているのか?

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人類が思い出せないくらい昔から、この地球上には国家のようなものが存在した。

大昔は、その国家を治めていたのは、神のような預言者のような存在だった。そして、国民は彼らを崇め、彼らのためにあらゆる労働を行った。

厳密には、権力によって労働を課せられていたのだろう。

その頃は、移動手段も限られていて、その土地に生まれた人間は昔から伝わる土地のルールに従わざるおえなかった。もし、従いたくない場合は、武力による革命だ。

しかしながら、革命は何かから市民を解放してくれるものではなく、新たな権力を生み出しただけだった。

 

このようなことは現代人であればだれでも知っている。

では、そんな国家をなぜ未だに引き継いでいるのだろうか?

 

国家の役割

現代における国家の役割は、境界線を引いて、その国の国民の安全や権利を守る為に存在している。国家は個人よりも強力なため、仮に国家をやめました、と宣言した時点で隣の国に占領されてもおかしくない。個人では国家に対抗できない。

 

要するに、国家は力であり、国民はそれに守られているということになる。

これは、あくまで民主主義且つ先進国の話で、後進国共産主義などでは未だに移動手段がなく、国家に従わざるおえない。

そんな体制の国家があることを知りながら、地球の裏側で飢えている人がいることを知りながら、我々先進国の住民はのうのうと国家に守られながら自分たちの利権を確保して生きている。

兎に角、自分たちの生活を守れればそれでいいのだ。

 

では、国家に不都合はあるのか?

国家は、国民の権利を守るものだ。先進国には明らかに利権が存在していることになる。その上で、国家の利権の中に、更なる既得権者が何重にも存在し、まるで重箱のように利権が存在している。

国民は、それに異を唱えるどころか、少しでも多くの利権を得ようと競争している。親は子に少しでも利権に近づくようアドバイスまでして、子供が思ったような進路に乗ると家族をあげて大喜びだ。

 

先進国では、国家は利権の重箱で、国民はそれに踊らされて人生を終える。

後進国共産国では、国家は一部の人間の利権だ。

 

要するに国家が存在している限り、格差や差別はなくならない。

 

将来的に何かが変わるのか?

多分、大きくは変わらない。

現在、世界には国家を挟んで3種類の人種が存在する。

  1. 国家の中で利権争いしながら生きている人達
  2. 国家や利権に愛想が尽きて、別の生き方を模索している人達
  3. 利権ではなく、只々現状維持を望んでいる人達

今後は2)が増えてくるだろう。そうすると国家の集金システムが崩れてしまうため、少しずつ新たな枠組みに移行してくると思う。

 

ゆるやかな国境線による統治のような状況が生まれてくると思われる。