才能は時代の副産物である
最近ミュージシャンが困っているらしい。もっとCDを買ってください、と呼びかけたり、CDはもうダメでしょ、生で音楽が聴けるようなキャバレーをやりたいと語ってみたり。。。
一体何が起こっているのだろうか?
音楽の歴史
元々ミュージシャン(音楽家)という職業はあってないようなものだった。金持の食事中にシェフは食事を作り、音楽家は後ろで演奏していた。そんな存在だった。勿論、家に入るのも使用人と同じ裏口からだ。
それがある男の登場で一変した。ベートーヴェンだ。
ベートーヴェンは自分の音楽をアートだと言って、決して裏方はやらずに演奏を続けた。彼の行動が音楽家の地位を築いたと言ってもよい。その後、様々な変化や進化と共に、プレスリーやビートルズなど音楽がファッションとなり、若者の象徴となり、また自由への扉となった。
その結果、ミュージシャンが広く金を稼ぐようになる。音楽機器の発達や著作権の整備もそれを後押しした。そういった歴史の上に、現在のミュージシャンが収入を得ている。
音楽の才能は、何年もかけて、時代の後押しと幾つかの幸運のもとで、やっと稼げる能力となったのだ。
才能で稼ぐということ
音楽を作る能力は、確かに特殊な才能だが、その能力以上に稼げているのかもしれない。それは、やはり時代なのだ。そして、その時代が変化していることに気付く必要がある。
ここで問題は、気付いたとしても、どうしようもない、ということだ。多くのミュージシャンは、実は時代の変化に気付いている。でも、だからどうしたらいいのかは分からない。
もしかしたら、また新たな天才が現れて社会を変えてしまうかもしれない。でも、それを待っていたのでは、本当の意味で神頼みだ。
時代の変化の途中にいる才能は、今までその才能で稼げてラッキーだったと思うしかない。そして、あらゆる才能が同じ運命にある。それを理解して生きていくべきだと思う。