感動とは何か?その正体を考える
前回のエントリーで、今までで一番感動した食事について書いたので、今回はその感動について考えてみる。
人は何に感動しているのか?
私は、人は物語(ストーリー)に共感し、その時の感情の高ぶりを感動と呼んでいるのだと思う。
物語は社会のあらゆるところに存在し、例えば何かで頂点を極めた人間が、そこまで行き着く過程を勝手に想像して感動したりする。時には、その手の物語がサイドストーリーとして事前に提供されたりもする。
全ての出来事には物語が隠れていて、人間が生きている限りは、程度の差はあれ物語が存在している。
物語を売るということ
良い商品やサービスは利用者や購入者に対し物語を語ってくれる。
imac以降のAppleの商品は、常にその背後にスティーブジョブス氏がいて、魅力的な物語を語りかけてくれていた。氏の分身が商品であるかのように市場でもてはやされて、Appleは復活を遂げた。
昔Sonyが音楽プレイヤーを手のひらサイズまで小さくして、持ち運べるようにしたことによって、街中にWalkManが溢れ、それはまるで新しい時代の幕開けのような物語として世界中の人々を魅了した。
Sonyは幸か不幸か魅力的な商品を生み出すことにより、社会に偶発的に(もしかしたら意図的だったかもしれないが)物語を提供していたのだ。
それを本当に理解していたなら、現在のような状況に陥っていなかった気もする。
感動の正体
感動とは、物語に共感し、心を震わせている状態である、と言えるのではないだろうか。
過去のエントリーで、少しだけ感動について触れていたので、ご参考まで。。。