自由を求めて、世界を周る

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なぜ職人はいなくなったのか?(才能は時代の副産物であるPart2)

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才能と似たものに職人のような技術がある。才能については、以前のエントリーで書いたので、今回は職人について考えてみたい。


才能は時代の副産物である - 自由を求めて、世界を周る

昔は、日本の至る所に職人がいた。そういう私も田舎の出身で、実家が製造業だったこともあり、周りに職人も多かったし、私も子供の頃に無意識で技術を習得した。

 

職人って何?

職人とは、特殊な技術を持った人だ。そして、その技術は何度も同じことを繰り返すことにより機械よりも正確な、まるで芸術的な技術にまで引き上げられる。

そして、その人達が作った商品や作品は美しい。製造過程が機械化されていく中でも、その職人が力を発揮し、日本特有の精密な商品が作られていた。

 

職人は何故いなくなったのか?

職人が作る商品は素晴らしい。それは事実だ。ただ、そこには問題もある。

コストだ。

ほぼ全ての商品は時間と共にコモディティー化していく。そして、コストダウン競争になる。また、利用者もそこまで精密なものを求めなくなってくる。コモディティーとなった商品は、最後は100円ショップに他の商品と一緒に並ばざるおえなくなる。

職人は、そういった時代の流れの中で役割を終えていく。

今日のように大量に安い商品を作って提供できるグローバルな時代になると、職人のピークは更に短くなる。それを見た次世代の若者は、職人の道を選ばない。行き場を失った職人は自宅で管を巻き、その子供は違う道を歩む。これは仕方がないことだ。

時代と共に全ての物事は変化し、それによって自分が食えなくなることを全員が自覚していないと大変なことになる。それを絶対に自分の子供に教えないといけない。

職人は背中で、その事実を子供に伝えた。

 

職人はどこで生き残っていくのか?

商品はコモディティー化していくが、作品はそうとは限らない。高価な芸術作品や伝統的な作品の中に、未だに職人の技は生きている。ヨーロッパの建築物などでも日本の職人芸が生きていたりする。もし、職人を選択するのであれば、そういった自分が生きていく場所を見つけるべきだ。

全ての職業に言えることだが、どこで自分のスキルを使うかによって、全く結果が変わってくる。そこまで考えて職業を選択すべきだと思う。