『誰かの利益は誰かの損失』の正体について考えてみる
誰かが収入を得ている=誰かが支出しているこれは経済活動では避けようがない。世の中の原理原則が、どういう形でそのような影響を及ぼしているのか、その正体について考えてみる。
支出=損失なのか?
まず、収入は良いとして、支出は悪いものなのか?考えてみる。
支出はしない方が良いし、少ない方が良い。だから支出して気持ちの良いものではない。
気持ちの良い支出はあるのだろうか?
- ずっと買いたかったものをやっと買えた時
- 買うべきものが予想以上に安く変えた時
- 意味のある支出だと感じた時
大きくこんな感じになるのではないだろうか?
買いたかったものが買えた時は、その喜びで支出のマイナスを打ち消してしまう。
想像以上に安く変えた時には、何故かその金額分得した気持ちになる。
意味のある支出は、自分で納得したものなので、支出自体が喜びに変わる。
このようなサービスや商品を顧客に提供し続けられれば何の問題もないのだが、そのハードルは相当高い。
そこで他の方法も考えてみる。
直積的な支出と間接的な支出
まず、買い物などは直接的な支出である。自分の財布から支出されるので、精神的にも経済的にもその影響は大きい。
では、間接的な支出とは何か?例えば、税金だ。税金は、法律に従って徴収されるもので、その国にいる限りは避けようがない。その為、その税金が何に使われているかまでは考えていないケースが多い、既に自分の財布から出ていった後なので、考えても仕方がないのだ。加えて、それをやっていたら時間がいくらあっても足りない。そこで他人任せになってしまう。
その結果、天下りなどにお金が流れているわけだが、これを間接的な支出と呼ぶ。自分の財布から支出しているのとではダメージが全く違う。要するに、間接的な支出は痛みを感じにくいために、広くはびこってしまう。
だから天下りは無くならない、という構図ではないだろうか?
公金に人が群がるのが分かる気がする。