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ピカソが天才過ぎる理由(ピカソが残した3つの功績)

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私は、歴史上の尊敬する人物や好きな人物を聞かれると、ガウディかピカソと答える。理由は分からないが、その回答に驚かれることが多い。日本の偉人か近代のビジネスマンあたりを挙げると想像していたのだろうか。

私の中ではピカソは人類史上稀にみる天才だ。天才は独りで世の中の常識を変えてしまう。本日は、そんなピカソが打ち立てた驚くべき3つの功績を、私の私見で解説したい。

 

絵画の常識はおろか、美術史の流れを変えてしまった

ピカソと言えば、最初に思い出すのが、あのよく分からない抽象的な画法だ。昨今では、絵画の評論家が抽象画だとか何だとか小難しい解説で、その画法を称賛するが、当初は当たり前のように受け入れられなかった。

そもそもピカソは絵が天才的に上手い。一般的に人間は物事をより上手く表現しようとする。絵画であればより忠実に美しく描くのだが、ピカソはその逆を行った。何故、彼がそんなことをしたのかは分からないが、これが絵画の世界に新境地を切り開いたのは紛れもない事実だ。ピカソに、その時どういう勝算があったのか想像もつかないが、この画法が彼の名声を決定的なものにした。

当時は現代と違い表現の自由にも限界があり、新しいものを容易に許容してくれるような社会風土ではなかった。よくそんな時代に、そんな描写を思いついたというか、表現して世間に発表したな、と思う。常識や既存の価値観と言うのは、ピカソのような唯一無二の天才によって、全く別なものに置き換えられてしまうのだ。

 

業界の先駆者となった

ピカソは、画家として史上初めて存命中に金を稼いだと言われている。それまでの画家は貧乏で、絵が評価されたり、売れるのは死んだ後だった。ピカソは、それを生きているうちに成し遂げた。

その結果、画家という職業が正式に成立したことになる。

そもそも当時の芸術家は貴族などのスポンサーに囲われて、何とか生活が成り立っていた。それを、絵を直接顧客に売ることにより生活を成立させたのだ。新たなビジネスモデルの完成である。先駆者は常に孤独だ。ピカソも当時は相当風当たりが強かったのではないだろうか?

陸上競技の世界にも、カール・ルイスという天才がいる。人類史上初めて100M走で10秒を切ったことで有名だが、彼以前は陸上競技は儲からなかった。それを銭ゲバと言われながらもカール・ルイスは莫大な金を稼いだ。そのお蔭で現在の陸上選手の地位がある。先駆者とは、世間に勘違いされながらも、何かをやり遂げられる人間なのだ。

ピカソは絵画は勿論だが、お金や経済の本質も理解していたのではないだろうか。彼は本質を見抜く天才だったのだと思う。

 

ランドビジネスを成立させた

現在では当たり前だが、世の中にはブランドビジネスが存在する。私は、そのモデルの一端を担ったのがピカソだと思っている。

ピカソは、絵を描くのが異常に早く、自分の絵にタイトルすらつけなかった(彼の絵のタイトルは画廊や彼の周りの人がつけたのだ)そして、次々と完成した絵にサインをして売り捌いていた。その中にはピカソがサインし忘れたものも沢山あり、それによって価格が全く違う。

つまり、彼は自分のサインを売っていたのだ。ピカソブランドの確立である。

その結果、彼が残した資産は7500億円を超えると言われている。当時そんな金を稼いだアーティストはいない。現代においても高級ブランド企業と同じレベルだ。

やはりピカソは唯一無二の存在だと思う。

 

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私がマドリッドゲルニカを観た時は、本当に感銘をうけた。子供があの絵を観て泣き叫んだと言われているが、分かる気がする。私の観たゲルニカは、NYから専用列車と専用機によりマドリッドまで届けられたそうだ。まるでアメリカの大統領並の待遇だ。

 

私が、今職業選択をするとしたら、才能さえあれば迷わず画家を選んでいた。そんな記事を以前書いた気がする。


もし今職業を選択するとしたら?確実に成功する気がする - 自由を求めて、世界を周る