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投資家と起業家の違い(違いを生み出す2つの能力)

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私は、幾つかの事業を起業して、上手くいったことも失敗したこともある。幸いにして直近の事業が成功し、現在はその資金を元に投資家へと転じている。以前にも似たような経緯で投資を行っていたことがあり、今回も投資し始めの頃は事業と同じスタンスで挑んでいた。それが、私より投資が得意な知人数名を参考にして、自分の遣り方を大きく変えたところ信じられないようなパフォーマンスを叩きだし、遂には働かなくて良くなってしまった。

その時に私の頭に、投資家と起業家は何が違うのだろうか?また、何が夫々の違いを生み出しているのだろうか?と言う疑問が浮かんだ。最終的に、投資家には卓越した「見つける能力」があり、起業家には特別な探究心や競争心に起因した「気付く能力」があると考えるようになった。

本日は、それらの2つの能力について書いていこうと思う。

 

1.投資家の「見つける能力」

見つける能力とは、端的に言うと油田を探すスメラーである。昔は、機材が発達していなかったため、スメラーと呼ばれる人達が油田を探し当て、大金を掴んだ。現代では、セコイアキャピタルがアーリーステージのGoogleを見つけたように、または孫さんがYahooやアリババを見つけたように金融市場に著名なスメラーが存在する。

文字通り投資家にとって最も必要な能力だが、最近話題のキュレーションメディアにも似たような能力が使われている。キュレーションする能力とは、世間がどういうものを求めているかを理解して、その情報を探してきて、整理することにある。その中でも、世の中のニーズにあったものを見つけてくる能力が重要である。「はてなブログ」でも、よくライフハック系のブログを見かける。彼らはキュレーションしてユーザを集めているのである。

同じ能力でも、使う場所が違うと、全く違う効果や結果を生み出すことになる。よって、自分の能力をどこで使うかを考えることが一番大切だと思う。その為には時代の流れやマーケットも同時に理解しておく必要があるのではないだろうか。

 

2.起業家の「気付く能力」

アメリカでは、起業家がエクジット後に有名な投資家になるケースも多い。起業家にも見つける能力は必要だが、それ以上に重要な能力がある。それは、気付く能力である。

起業家は、スキームを組み立てる必要がある。何をするかも重要だが、どのようにして実行していくか、またはどのようにマネタイズするかが難しい。そして、そういった全てを確立したものがノウハウとなる。このノウハウは細かいことの積み重ねだ。あらゆるところに起業家の気付きがあり、その一つ一つが最終的に大きな差を生む。

起業家ではないが、元ヤクルトスワローズの古田捕手を新人の際にレギュラーで起用した野村監督は、その理由を「気付く能力」だと言っている。プロ野球の世界ですら、気付く能力を持っている人は殆どいないらしい。

普段から興味と問題意識を持って行動した人のみが気付く能力を手にすることが出来る。発見や発明する人は、寝ても覚めても同じことを考え続けている。その結果、一見関係がなさそうなところで、他の人が目を見張る発見をするのである。

 

まとめ

見つける能力と気付く能力、この2つがビジネスでは貴重な能力となる。

両方あればベストだが、どちらか一方でも磨けば一流になれる。これらの能力は想像以上に地味だ。気付く能力を得るには、その分野においてずっと考えを巡らせておく必要がある。その上で継続的な集中力と観察力を発揮することが出来る。よく気付く人は、習慣的に深い探究心を持ちながら生活している。きっと自分が満足するまで追求しないと気が済まないのだろう。

見つける能力も同様に退屈な作業を淡々とこなすことになる。例えば、ブロガーを発掘する場合は、数あるブログを何日も読み続けて、やっと1名の目ぼしいブロガーを見つける。その後その人をフォローして、また何日もブログを読み続けることにより初めて何かを確信できる。そんな作業をずっと継続しているのだ。プロスポーツ選手のスカウトも同じだ。目立たないところでとても地味な作業を繰り返している。

仮に、どちらの能力も持ち合わせてなければ、これらの能力を持っている人を見つけて、その人についていくか、アドバイスしてもらうかが良いと思う。お金はあるが、見つける能力がない人は多く、アドバイザーとしてこの能力のある人と契約している。その逆もしかりである。

私も、投資する際は、この見つける能力のある人の意見を最も尊重する。自分より見つける能力が高い人を見つければ、私は自分ではなくその人のポートフォリオを見て投資する。実際に現在もそうしている。

創造することも同じで、全く新しいものはこの世には存在しない。今までに無いような組み合わせを見つけたり、気付いたりしながら新しい作品や商品を世の中に送り出している。ガウディの有名な言葉に「世の中に新しい創造などない。あるのはただ発見である」と言うのがあるくらいだ。

 

まずは、この2つの能力を念頭に置いておけばビジネスで人を選別する役に立つし、自分がどのような能力を磨くべきかが分かってくるのではないだろうか。

 

コミュニケーションが苦手な人の本当の問題点と解決策

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私は昔コミュニケーション能力に問題を抱えており、それが原因で会社を閉鎖するなど様々な失敗を繰り返してきた。

ただ生きていくには、何とかしないといけないので、色んなことを試してきた。自分のことを分析して修正するのは簡単ではないと思えば、同じようにコミュニケーションに問題がある人を分析してみるなど、他の人が余りやらないような方法論を取ってきた。本日は、そんな中で気付いたことと、最も簡単に実行に移すことのできる解決法を書いてみたい。

 

問題点

コミュニケーションに不安がある人は、必ず説明が苦手だと言う。思ったことが伝わらない、伝えられない、と言うのだ。だが、実は思っていることを100%伝えきれる人はいない。伝わらないことが逆に良い結果になることもあるが、多くは期待通りの結果に結びつかない。思った通りに物事が進むとしたら人生はどんなに楽だろうと思う。しかし、そうではない。

まず会話(コミュニケーション)とは、相手があることだ。これが大前提である。

だから話し手が話したいことを一方的に伝えても、成り立たない。会話の目的がどうであれ、相手が聞きたいことや望んでいることを話す必要がある。そうしないと誰も聞く耳を持たない。

要するに、コミュニケーションが苦手な人は、基本的に相手の話を聞いていないか相手のことを考えていない。自分のことで精一杯なのだ。しかも、そういう人に限って、自分は相手のことを考えていると思っている。自己中心的で頑固な面がコミュニケーションを阻害しているケースが多い。

 

最も簡単な解決策

次回からコミュニケーションの際に、真剣に相手の話を聞いて、相手のことを今まで以上に考えてみてはどうだろうか。自分のことや自分の主張は二の次でいい。相手のことを考える姿勢や気持ちが最も大切だ。何故なら言葉より気持ちや感情の方が先に相手に伝わるからだ。

そうすると意外にスムーズなコミュニケーションが取れるようになっていく。そのうちに相手が望んでいることをくみ取って、会話をしたり行動したりできるようになってくる。ここまでくると、コミュニケーション以前に人間性まで評価されるようになってくる。コミュニケーションが上手い人ほど好感をもたれるのは、これが理由なのかもしれない。

会話をしていると、話が上手くかみ合わないケースや、自分の伝えたいことと相手の知りたいことが全く違っていることがある。これをコミュニケーションの問題と捉える人も多いのだが、これはコミュニケーションの問題ではなく、話の争点がずれているだけだ。コミュニケーションの問題と、話の争点などの別の問題を混同すべきではない。

 

その上で、

  1. ビジネスなど損得勘定が絡む時は、しっかりと自分の意見を伝えるべきだ。これはコミュニケーションとは別の話なので、混同しない方が良い。
  2. プレゼンなど通常の会話と違う場合は、事前に練習した方が安心だ。練習方法は、自分でプレゼンをしながら、相手から質問されそうなことを徹底的に考えて、自分で質疑応答してみる。一人二役で相手の立場に立ってみることだ。

 

まとめ

相手の立場や気持ちを考えるだけで、毎日のコミュニケーションが飛躍的に変化していく。実は、ビジネスも同じで、相手の利益を最初に考えられるようでないと長続きしない。

コミュニケーションとは人間そのものであり、全ての活動がコミュニケーションをベースにして行われている。IT革命も、端的に言えばコミュニケーション革命に他ならない。人間社会においてはコミュニケーションが全ての基本なのだ。そして、コミュニケーションとは、相手の気持ちを考えることである。

 

人間関係やコミュニケーションで悩んでいる時は、この基本に立ち返ってみてはどうだろうか?

日本の未来を支える、将来性のありそうな業界ベスト3

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本日は、IT、医療、金融などの王道以外の分野から、将来性がありそうな業界を選んでみました。

 

3位)日本型のサービス業(おもてなし産業)

ホテル、飲食、販売店などのソフト(マナーなど)を提供する分野。 

一昔前にMadeInJapanの製品が世界を制したように、MadeInJapanのサービスが世界を席巻する時が来るように思う。最低でも、発展途上国でのニーズは大きく、これから更なる成長が期待される東南アジアがその後押しとなるのではないだろうか。

アメリカも、日本の輸出力により多額の貿易赤字を計上していた時期があった。しかし、実際はアメリカ型のビジネスモデルやブランドなど形のない物を輸出して外貨を稼いでいたのだ。日本も、今後、同様に形のないものを輸出する時代にシフトしていくことになる。成熟した国家では物が売れにくくなる。その分、サービスなどの付加価値や新たなビジネスの仕組みが求められるようになってくる。日本の国策としても、日本ブランドのイメージ戦略に欠かせない分野であり、日本人であるメリットが最大限に生かせる。しかも、日本型サービス業は、武道や日本の伝統文化との関係も深く、文化の伝道師としての付加価値も提供できる。

 

提供する商品よりも、提供する形(心やマナーなど)にこそ、今まで隠れていた産業としての潜在力があるのではないだろうか?まだ未発達の業界なので、あらゆる分野の人達が集結して、日本型サービス業のノウハウを形式化して提供できると面白いと思う。日本型サービス業は、最強の輸出産業かもしれない。

 

2位)養殖業

今後世界は、確実に食糧難に陥る。農作物や畜産や水もそうだが、日本の強みを生かしながら、最も高い収益に繋がるのは養殖業だと思う。日本では、既にマグロの養殖にも成功している。世界最先端である。そこには、日本人独特の繊細な味へのこだわりや保存、加工技術があり、簡単には真似できない。将来的には最終過程(飲食業)もこの中に含まれるだろう。そのくらい日本の技術や食は世界的にニーズがある。

 

世界の海で、日本の養殖技術による食糧革命を起こせる日が必ず来ると思う。

 

1位)エネルギー関連産業

エネルギーは、世界の産業の中心だ。産業どころか資源外交など国家の中枢を担う戦略物資である。

日本には、世界最高峰の建築土木技術に支えられた掘削技術がある。それにより、新たな採掘技術(カナダのオイルサンドも日本の技術、カタールも日本のプラント建設)へと次々に展開していくノウハウもある。加えて、プラントをより効率化する省エネ技術や電機・自動車分野での省エネ技術など、この分野の先駆者と言っても良い。

今まで問題だったのは、肝心の日本に資源がないと言われていたため国内で産業が育つ土壌がなかったことだ。幸いにして、メタンハイドレードの掘削は土木技術がベースとなるため、日本の技術力を発揮する願ってもないチャンスとなっている。しかも、その次に来るであろう水素電池や発電も日本が実現化にこぎつけている。

私は、日本はエネルギー産業で、必ずや復活すると信じている。そして、この分野には巨大なマネーが眠っている。日本版ゴールドラッシュだ。

夢とマネーを両手に掴んで働ける業界である。

 

以上です。皆さん、いかがでしょうか?

中国の今後について、考えられる2つのシナリオ

リクエストにお応えして、「中国の今後について」です。私の個人的見解に基づくものなので、どこまで正確な予測となっているか自信はないですが、思いつくことを書きました。

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中国の現状

世界第2位の経済大国とは思えないような状態である。中国全土で発生しているデモや少数民族の暴動に追われながらも、中国政府は南シナ海や日本の沿岸にまで触手を伸ばしている。習近平がどの程度軍部をコントロール出来ているのか不安で仕方ない。

また、中国経済を支えていた不動産バブルも弾けた。その上にシャドーバンキング(高利貸し)の問題を抱えている。そんな状況の中で、100万人以上の官僚が海外へ資産を逃がしており、家族・親戚は既に中国に住んでいない。そして、偽名を使ってまで子供をアメリカの一流大学へ通わせている。最近では、資産1億円以上の中国人が次々と海外へ流出しているようだ。アメリカで子供を産むツアーが大流行しており、カリフォルニアにはその為の街があるくらいだ。アメリカで出産すると子供がアメリカ国籍となり、そのまま家族全員がアメリカに滞在できてしまう。

中国の異常な貧富の差が、中国内での社会不安はおろか近隣国への社会不安にまで波及している。ジニ係数が0.4を超えており(一説には0.6とも言われている)いつ革命が起きてもおかしくないレベルだ。

そして、最後に、少子高齢化の問題がある。金持ちが海外に逃げて、その上で国内には多くの高齢者が徘徊することになる。一体誰がこれらの問題を処理することになるのだろうか?

 

経済問題はどうなるか?

やはり不動産バブルの崩壊が大きい。経済的にそんなに大きな問題にならないという専門家もいるが、数字の問題よりシャドーバンキングの破たんなどによる社会不安の方が心配だ。それがトリガーとなって経済が崩れていく可能性は高い。

その結果、7%以上の経済成長率を維持していくことは難しくなるだろう。国民の不安がどこかで爆発することになるのではないだろうか。

ただし、シャドーバンキングへ投資しているのは中国国内の資本が殆どとのデータもあるため、国内で負債を抑え込んでしまえば、その問題が直接海外まで飛び火しないかもしれない。これが出来てしまうのが一党独裁である。

 

成長率が下がるとは言え、まだまだ内陸部などの消費は拡大し続けると思う。今後も中国が巨大市場であることは間違いない。しかも、何もインフラのないところへ最新のテクノロジーが持ち込まれたことにより、一足飛びで新たな技術の恩恵を受けることが出来る(電話線が無い地域に携帯電話の導入など)これは何を意味するかと言うと、新分野で巨大な企業が生まれるということだ。実際にシャオミなどの携帯電話会社の成長は驚異的だ。しかも、家電をはじめ多くの製品がコモディティー化した現代では商品開発に係る手間もコストも少なくて済む。このような分野やIT分野で、今後中国では多くのイノベーションが起こるだろう。そして、それらの技術を大きなマーケットが瞬時に金に換えていく。市場としての魅力は、今後も損なわれない上に、今までには無かった技術革新の時代に入っていくかもしれない。

 

高齢化などの社会問題はどうか?

共産主義社会主義が終焉する際には、必ず弱い者へしわ寄せがいく。ロシアが崩壊した際には高齢者が路頭に迷い、そのまま亡くなっていった。中国でも同じことが起こるだろう。日本と違い中国に人権はない。その分、高齢者問題に対する政府の姿勢は日本と同じようにはならない。

その上で、国内で発生する火種も武力で制圧するか、または反日を捌け口にして終息を試みるだろう。私は、反日カードは徐々に効果を失っていくと思う。その時に何が起こるか、については2つのシナリオが考えられる。

 

1.中国の分裂

中国共産党の求心力が徐々に弱まり、それに伴い地方自治へと移行していく。事実上の中国の分裂だ。アメリカだと合衆国、イギリスは連邦制と自治体の権限が非常に大きい。中国も同等か、それ以上に自治体の権限を大きくすることで、更なる経済成長が見込めると思う。最終的には共産党一党独裁が消滅し、自治体が国家のような役割を持てば経済にとってはベストだと思う。

現在の中国は、共産党の強引な支配で成り立っているが、あまりにも規模が大き過ぎるし、問題も多過ぎる。それが分裂することにより先進国と同様のルールや透明性のある市場を担保できれば、その市場規模をより一層生かせると思う。

このシナリオでは、日本へも好影響が期待される。大連や上海、香港を中心とする自治体は日本に好意的でビジネスでもシナジーが生まれるだろう。

 

2.中国の崩壊

中国共産党が、一気に崩壊するシナリオだ。共産党の幹部や金持ちは既に海外へ避難しており、何の手も打たずに国家が機能しなくなる。この場合の日本への悪影響は計り知れない。難民の問題や中国元の暴落や、更にはロシアの崩壊時のように軍事技術などの流出も懸念される。中国の最新の軍事技術はアメリカから盗んだものだと言われている。そういう意味ではアメリカは飛んでもないしっぺ返しを喰らうし、それ以上にアメリカ国債を投げ売りされた場合は救いようがない事態になる。

現在、唯一経済が上向きなのはアメリカだ。これはシェールガスの影響で当分は続くだろう。中国の崩壊による元の失墜と日本経済への波紋による円の暴落と中国、日本の米国債の投げ売りが行われた場合は、流石のアメリカ経済も大パニックになると思う。これが最悪のシナリオだ。

経済に加えて、タガを外された人民解放軍が暴発したら、今の日本だとどうすることも出来ない。

 

最悪のシナリオについて考える

中国が一気に倒れた場合だが、まず中国内で暴動が起こるだろう。また、元が暴落して庶民がパニックになる。現在の中国は昔の日本同様ドルに対し大幅な元安を維持している。それによって中国は外貨を稼いでいるのだ。もしかすると、その状況を利用して既にハイパーインフレ並のマネーサプライが供給されているかもしれない。その場合は、一瞬でハイパーインフレが起こるのではないだろうか。

その影響を最も受けるのは、隣国(日本、北朝鮮、韓国)だが、中でも日本への影響が最も懸念される。何故なら円が暴落すると世界経済に穴が開くからだ。更には、ドルにまでその影響が波及すると基軸通貨が使えなくなる。

多分、このタイミングで主要国が集まり通貨の切り替えやデノミなど何か対策が打たれるはずだ。それにしても暫くは経済の混乱が続くと思う。ただでさえ日本には国債の信用不安問題がある。これが同時期に起こるとなると、日本は未曽有の大不況となる。

資産を分散しておくか、逆に資産価値が上がるものに換えておくか、自力で食えるようなスキルを身に着けておくか、または最低限の生活で切り抜けられるように普段から準備しておくか、私も経験が無いのでイメージできないが、そんな状況になるのだと思う。

 

まとめ

以上2つのシナリオのどちらになるかは予測出来ないし、共産党がいつまでもつのかも分からない、考え辛いが、もしかすると共産党のまま何十年も現在の統治が続くかもしれない。

ただ、私はこの2つのシナリオの可能性が極めて高いと思うし、アメリカや日本のような多大な影響を受けるであろう大国は、普段から中国政府と連絡を取り、最悪の道に進まないように対処すべきだと思う。対処と言うよりも説得になるかもしれないが…この2つのシナリオには雲泥の差がある。是非緩やかな分裂により経済発展を強固なものにして欲しいと思う。

 

どんな大不況からも人類の英知により、いつかは抜け出す。その後に海外へ逃げた中国の元支配者と多くの犠牲者(元国民)の間には、大きな確執が生まれるだろう。一体どのような反撃が待ち受けているのかは分からないが、共産主義の悪夢が去ると同時に常に国民が息を吹き返し、独裁者は悲惨な末路を辿っている。

今回はどうなるのだろうか?きっと未来の歴史が証明してくれるだろう。

 


結局、日本は破たんするのか!? - 自由を求めて、世界を周る

私の「家族の精神疾患」に関する記事へのコメントなどについて

まず初めに、アドバイス頂いた皆様、本当に有難うございました。特に似たような症状で悩まれている方からのご意見は、非常に心に響きました。


家族が精神障害、無職になったので、まじめに解決策を考えてみた - 自由を求めて、世界を周る

私が記事を投稿して以来、当該記事へのアクセスが非常に多く、後数日アクセスが続きそうです。そこでこの場を借りて、書き足しておこうと考えました。

私の家族の現状ですが、現在は本人も仕事に就いて、家族も元の状態に戻っております。

精神疾患については、まだ医学的にも解明されていないことが多く、その為に誤解を生みやすいとのことですが、考えられる要因として、性格(考え方含む)、環境、遺伝などが複雑に絡み合っているとのことです。

確かに、私の家族は父親から私、妹まで精神疾患らしき症状があります。私と父は対人関係に一部問題があり、過去にはそれが原因で失敗しています。また、私は毎日同じ時間に起きて会社や学校へ通勤するような行動が苦手です。同じ作業を同じパターンでこなすことが出来ないのだと思います。薬を服用しても効果を感じなかったために、自分の弱点を強みにして生きていくことにしました。その為に積み上げたのが私のロジックの全てです。

対して、次女は信じられないくらい優秀です。母親は優秀かどうかわかりませんが人並み以上に忍耐があるようです。いびつではありますが、このようにして私の家族はバランスされています。

そもそも正常というのがどういう状態なのか分からないですが、どういう状態であれ社会で生存していく術を当人が身に着けることは重要だと考えています。よって、長女が将来的に職を失するなどの経済不安がトリガーとなり精神不安に陥らないように、今のうちに生活の糧を得られるようなノウハウやスキルを身に着けるか、またはそれと同等の対策を打とうと考えています。

 

最後に、コメントはとても参考になるのですが、中には暴言や卑劣なものもあります。ネットは世の中の縮図で、きっとそういうものなのでしょう。私の家族のようなケースは、他にもあると思うのですが、まずは本人の問題であり、家族の問題であることに加え、社会における対策ができないか、と言うのが前回の記事の趣旨だったのですが、介護などの問題と同じできっと難しい問題なのだと思います。

社会でのセーフティーネットや更生するような場所を広く設けて頂けると、きっと他の方も助かるのではないでしょうか?私はそのように感じました。

 

以上、ご清覧頂き、有難うございました。

小学生で亡くなった同級生といじめ問題。いじめを無くす方法を考えてみた

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私が小学校から中学校へあがる年に、校内の生徒が集まる葬儀が行われた。

冬の冷たい雨の中、神父が何かを読み上げる。彼女はいじめられていて、その相談のために教会に通っていた。その為、葬儀もご両親の意向で教会で行うことにしたそうだ。彼女は、取り残された小さい妹を助けるために、火事になった実家へ飛び込んで、そのまま亡くなった。引き留める周りの大人達に向かって、自分はどうなってもいい、学校も楽しくないし、生きていても辛いだけだと言い放ったらしい。結果的に彼女の妹は何とか一命を取り留めたようだ。

そのような話だったと思う。私の地元には大きな教会が無かった為、教会の前の野外にて葬儀が進められた。当時のクラスメイトの女性が次々と手紙のようなものを読み上げていた。中には号泣して手紙を読めない生徒もいた。

私達生徒は大人達の後ろからジッとその様子を眺めていた。彼女の両親はいじめていた生徒を非難する様子もなく、学校も担任の講師も非難されることはなかった。

それから数日後には、まるで何もなかったように平和な日々が戻り、春になるとみんなが中学校へとあがっていった。その後、誰かが処分されたという話も聞かない。これが事故死なのか自殺なのか判断が難しいが、今の時代であれば大きな問題になっていただろう。

 

彼女の両親は、きっと学校の先生に相談していたに違いない。しかし、当時の学校は司法も警察も介入できない完全な聖域だった。他県のことは分からないが、少なくとも私の地元ではそうだった。近年でも、滋賀のいじめによる自殺事件で、警察が学校へ介入した際に、校長か教頭が保護者を集めた説明会の冒頭で警察による介入を非難し、その後ネットなどで叩かれたことは記憶に新しい。昔は、それが当たり前だったのではないだろうか。日教組の価値観で組織化された団体は他人の価値観を受け入れなかったし、全てにおいて保身のために行動していたように思う。

 

では、学校が何もしていなかったのかというと、そうではない。

学校では、道徳やいじめは悪いことだと生徒にホームルームなどで教えていた。

 

いじめは無くなるのか?

子供の社会は大人の縮図だ。世界中どこへ行ってもいじめは存在するし、無くなることはないだろう。大人は、子供たちに向けて訳の分からない道徳論や綺麗事だけで問題を解決しようとする。そうしている間は、いじめはなくならいのではないだろうか。

テレビのコメンテイターも海外の事情や昔のいじめと比べて、現代のいじめが陰湿だとかタチが悪いだとか、何の解決にもならない話しかしない。要するに誰にも解決策がないのだ。

 

どうしたら良いのか?

可能性があるのは、大きく2つだと思う。

1つ目は、いじめを犯罪としてとらえることだ。警察の介入が抑止力になる。大人の社会と同じである。同時に、戦後立法された少年法をそろそろ大胆に改定すべきかもしれない。

2つ目は、いじめられた生徒へ逃げ道を与えてあげることだ。いじめは無くならないし、いじめられている人間は余りにも無力で不利だ。そうなると逃げるしかない。現状では、都市部の場合は私立を含め受け皿がたくさんあるので良いが、地方にはない。その結果不登校になってしまう。不登校の問題は学力の低下だ。いじめられた子は、最悪、意としない教育格差を背負わされることになる。

そこで、地方自治体が受け入れるための学校と通勤などの助成金を支給するか、またはホームスクールを認めるかだ。アメリカやフランスではホームスクールが普及しつつある。家庭教師を雇ってもいいし、親が教えても良い。今であればインターネットを使えばいくらでも授業をうけることが出来る。

ただし、どこまで自由度を出せばよいのか、と言う課題と最終的な生徒の管理や進学相談などの問題があるので、最も簡単なのは、まずは授業毎に教室を変えてしまうことだ。日本の場合は、1年中同じ生徒が同じクラスで行動を共にする。これでは管理は楽かもしれないが、生徒に逃げ場がないし、生徒の中からターゲットが生まれやすい。

海外では授業毎にクラスがバラバラなのでクラス内でのヒエラルキーが作りづらい。その上で、ホームスクールも認めて、定期的にスクーリング(学校へ通う方式)を取り入れれば良いと思う。通信制の大学のような状態だ。

ここには講師の数の問題(公務員利権)や予算の問題(文科省の利権)の壁が立ちはだかるわけだが、そうでもしないといじめられている生徒の人権が守れないのではないだろうか?

 

毎年、冬になると思いだす子供の頃の苦い経験を、何とか後世に引き継がないで良いようにしたいと切に願う。

 

家族が精神障害、無職になったので、まじめに解決策を考えてみた

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私には妹が二人いる。次女は既に結婚して主婦として生活しているが、長女は実家で母親を悩ませている。少し前に仕事を探していたので、何とか働く気になったようだが、以前はそんな状態ではなかった。母親が辛抱強く対応した成果だと思う。

 

長女は何故、精神障害になったのか

元々長女は、学生時代は人気があったようだ。何故か地元の新聞で取り上げられたり、卒業後は日産の東京のショウルームで働いたりしていた。20代は、正にバラ色だったのではないだろうか。その調子で、我儘放題の夢のような青春を謳歌しているうちに、気がついたら30半ばになっていた。何のスキルもない長女は、派遣で働いて、次第に出勤できなくなり、そして契約を破棄された。その頃から、精神障害の一種である強迫性障害のような症状が出始めた。聞こえない音が聞こえたり、金縛りにあったりと日常生活に支障が出だしたのだ。

そうなると周りの知り合いがどんどん離れていく。コミュニケーションの問題が彼女の症状を更に悪化させていった。

最後には、私の家に暫く滞在して、その後諦めて実家に帰って行った。実家へ帰った彼女は、さぞかし親に当たり散らしたと思う。子供の育て方が不公平だとか、大昔の母親の対応が悪いだとか、兎に角何もかもを他人の責任にして、ただストレスを発散させるだけの毎日だったと思う。

私も彼女と何回か話したが、考え方がおかしい。私が指摘しても聞く耳も持たない。その上でよく分からない理屈で自分を正当化していた。頭に血が上ると変に弁が立つのが不思議で仕方なかった。そもそも家族に対しては甘えが出るので、家庭内で対応するのは想像以上に難しい気がする。

私が想像するには、それまでの彼女の人生から自分がイメージしていた未来と真逆の現実になってしまったことと、知人友人が結婚などで疎遠になることにより自分が置き去りにされたような疎外感に襲われたのが原因ではないだろうか。そして、その原因を自分ではなく他人に責任転嫁することで、現実逃避しようとしたのではないだろうか。結果的に、心のバランスが崩れたのだと思う。要するに、強迫性障害などの精神障害は考え方に原因があるように思う。ただし、それを家族が指摘しても、逆に反撃されてしまう。自分の症状が身近な社会のせいだと考えているからだ。

 

精神障害、無職を抱える家族が考えていること

私達家族は、とてもストレスになったし、将来的にも彼女の老後が心配だ。彼女のような人間は、本質的には真面目なのかもしれないが、今を一生懸命努力することが最善だと考えている。しかしながら、それだけでは現状を打破出来ない上に、未来も開けない。

何か考え方に問題があるような気がする。

誰か、更生施設の人などが考え方を治してくれないものだろうか?頑張れとか努力しろとか、理不尽な精神論ではなく、現実社会を生き抜いていくための考え方を教えてくれる施設があると、この手の問題は大幅に解決するように思う。

施設が有償であっても、家族は利用するだろう。有償であれば、既に精神科のような医院が存在しているが、精神科は本人を医学的な病気として扱う。それが最善の人も居るが、根本的な問題は、考え方に起因していると思う。医師がそこに対応できれば良いが、なかか難しいのが現実だ。しかし、それ以上に家族内で対応するのは悪夢のような労を要する。その為、現状での選択肢は、唯一精神科となる。

人によって様々だと思うが、妹の場合は、心療内科や精神科では症状が好転しなかった。そうなると家族内で対処する以外に術がなくなってしまう。

 

現実的な対策はあるのか?

私は、以前、職業訓練関連の業務を広く実施していたことがあるが、当時問題になっていたのは派遣切りなどで雇用保険の対象になっていない失業者だった。彼らに職業訓練を施し、その間の生活費を国が支給して、半年後を目処に再就職させるというものだ。

これは悪いやり方ではない。事実、多くの人が半年後に就職していく。

ただし、改善点が2つあり、一つ目は失業者が受けたい訓練を自由に選べることだ。これは職業選択の自由に基づくのだが、そうすると似たような訓練に人が集まり過ぎてしまう。そして、みんなが憧れる業種は就職し辛い。ある程度、入り口で振り分ける必要があると思う。

二つ目は、この手の訓練でスキルをつけて就職できる人の多くは、普通に就職できる人だ。実はそれ以外の毎日通うことすら難しかったり、他人とのコミュニケーションに大きな問題を抱えていたり、精神障害などの問題を抱えている生徒が一定割合いる。彼らを就職させることが最も国にとってメリットがあるはずだし、その家族にとっても大きなメリットとなる。

これらの生徒は普通にスキルアップの授業をしても意味がない、それ以前の問題なのだ。よって、同じ国の予算を使うのであれば、その為の訓練施設や更生施設のようなもの作った方が良い。そうすると精神障害などの考え方に問題がある生徒については改善することが出来る。場合によっては、施設が仕事をまとめて受注して、職業訓練後の一定の収入源を提供しても良い。

現在では、障害者向けの訓練で同様のことが行われている。より効率的に即効性があるのは、重度の障害者まではいかないが簡単に働けない層への同様の訓練である。

このような制度があれば、我々家族もそこまで追い込まれなくてもよかったのに、と今になって考えてしまう。何とかならないものだろうか?

 

(追記)

当初家族の症状を鬱として記事を投稿しておりましたが、実際は鬱ではなく、強迫性障害精神障害)のようです。皆様にアドバイス頂き、大変感謝しています。「はてなブログ」の人達のレベルの高さに驚きです!本当に有難うございました。

なお、本文につきましたは、鬱の箇所を精神障害として訂正しております。

(追記2)下記の記事を投稿しました。


私の「家族の精神疾患」に関する記事へのコメントなどについて - 自由を求めて、世界を周る